ソフトテニスを通して大切なことを思い出した人間の日記

別に日本一なれるなんて思っていません。
自分が本気になり、求めさえすれば、
いつだって、何歳になっても最高の瞬間を味わうことが出来るし、
最高の生き甲斐、幸せや充実を感じることが出来る。
例え日本一になっても、この心が分からなければ意味がない!

ソフトテニスを応援する中での感じたことや想いを綴って行きます。(過去に書き留めていたことも投稿します。)
娘たちやその仲間たちへの想いが主になります。
個人的主観を丸出しで行きますので、よろしくお願いします。

高校受験で偏差値を38から68に上げた話

随分と昔になってしまったミサナパパの話です。

何か皆さんの参考になればと思って投稿します。


私が中学二年の終わりの三者面談
これでは行く高校が限られますねとの担任からの話。
母親に何となく申し訳なさを感じたのを覚えている。
その時点での成績は
学年約225人中215番
偏差値は38
その状態から、12月の期末テスト、北辰テストにて
学年15位、偏差値68を達成。
達成要因を思いついたまま書き連ねて見る。

母子家庭で母が苦労をしていた。
母の献身的なサポートがあった。
好きになった女の子がとんでもなく頭が良かった。
良き担任に恵まれた。
良き塾長に巡り合えた。
親身になって教えてくれた頭のいい友人がいた。
素晴らしき人たちのお蔭で勉強を頑張るためのスイッチが入った。
集中力を高める方法を教わり、それを実践した。
学校の休み時間も勉強した。
夜中3時位まで勉強することも多々あった。
友人の遊びの誘いはすべて断る位の決意で勉強した。

様々な要素が重なり合った結果なのだろう。
偏差値を70にする方法は知らない。

でも、高校受験が間違いなく僕の人生の原点になったことは事実。
何をやっても満たされない青春時代。
その時代に確かな充実感を与えてくれるものがある。
それは、何かに挑戦して、やり切って、結果を出した時。

自分の人生を振り返る。
裕福な家庭に産まれはしたが、実父が自殺。
母の再婚相手は遊び人。
僕が中二の終わりに母が離婚、母子家庭になる。
その母も、僕が高2の終わりに他界。
僕が21才の時、母が連帯保証人になった負債が発覚。
その後、妹と5年の歳月を掛けて返済。

いっぱいあったなぁ、色んなことが。
でも今になって思う。
親の大切さを早い時期に知れたこと。
電気もガスも水道もタダではないということ。
生きていること自体、お金が掛かること。
その体験のすべてが、今の自分を作り上げていること。
そのすべてに感謝できること。


とんでもない幸福境涯を築くことが出来た。
そう確信する。

×

非ログインユーザーとして返信する